著者からのメッセ−ジ

ホームへ

「糖尿病を友として」「糖尿病と心の療法」の 

  著者からのメッセ−ジ

3,糖尿病50年の歴史を顧みて

※ この文章は日本臨床内科連合会会長の後藤由夫氏が書かれた文章ですが、非常に興味のある内容でしたので紹介したいと思い、転載しましたのでご了解下さい。

    『私の糖尿病50年』−糖尿病医療の歩みー

”編集部からのメッセージ”

糖尿病が国民病といわれるようになって久しい。しかし、わずか50年前には糖尿病は稀な病気であった。戦後から高度成長期を経て現在まで、日本人の生活環境が激変したように、糖尿病医療にも大きな変化があった。

手軽で便利な血糖検査器、さまざまなタイプの血糖降下剤やインスリン製剤、患者1人1人に対応したきめ細かな治療、これらは一昔前には考えられないことであった。

このコーナーは、この間の糖尿病医療の進歩の跡を、永らくこの分野をリードされてきた後藤由夫先生に、その体験をもとに語っていただき、今後の糖尿病医療を担う方々の参考に費するために企画されたものである。本来、医療スタッフを対象とした企画であるが、糖尿病患者さんや其の他の一般の方にも興味を持って読んでいただけると考えている。

1)”40分かかって血糖値が出た。

ラジオもテレビも昔からあったように思われるが、放送が始まったのは1925年と53年でそう遠い話ではない。糖尿病患者が多くなったのは20年位前からのことで、糖尿病患者がさっぱりいない時代もあったのである。そのような時代の移り変わりについて述べてみたい。

現在は簡易血糖測定器を用いて患者さんが自分で血糖を測り、しかも20秒以内で値がわかる時代であるが、日本糖尿病学会が発足した58年頃は血糖測定に40分もかかっていた。現在のように検査部などはなく、血糖は医師が採血し測定を行なっていた。つまり血糖を測るのが糖尿病担当医の仕事だったわけである。血糖は大学病院やそれに準ずるような所だけで測っていたのであて、東京でさえ大学以外では4〜5ヶ所しかなかったのである。

血液は耳朶(ミミタブ)をランセットなどで刺して血液を0.1mlの細長いハーゲドロン・ピペットにゴム菅をつけて口で吸い取り、正確に0.1mlを硫酸亜鉛溶液と水酸化ナトリムを混ぜた徐蛋白液の入った試験管に流し込み、攪拌混合してから煮沸熱湯槽に入れて凝固させ濾過する。濾液にフエリシアン化カリ試薬を一定量加えて20分間煮沸熱湯中で反応させ、冷却させてからグルコースにより還元されずに残った、フエリシアン化カリをヨードメトリー法によりミクロビューレットで適定するものであった。

試験管を洗うのも、試薬を作るのも全て医師の仕事で、午前中に採血、昼から測定、合間あいまに病棟を回診するのが当時の医師の日課であった。Hagedom-Jensen法では、すべて準備を整えて採血しても、測定値が出るのに40分かかった。したがって糖尿病昏睡の患者さんが入院して、注射したインスリンの効果をみながら次のインスリン注射量を決めるのも、このスピードで行っていたことになる。

もう一つの問題は、この方法はグルコースの還元力を測るものなので、血液中に含まれるグルタチオン、グルクロン酸、クレアチン、VCなどの還元物質も一緒に測定されることになる。本当のグルコースの値(真糖値=true sugar)は、濾液に酵母を入れて発酵させBenedictsaccharoidsと呼んだ非発酵還元物質量を測り、血糖値からこの値を差引いて求めることになる。したがって当時の生化学者はこの非発酵性還元物を除ける徐蛋白法に工夫をこらしたわけである。1959年頃には、glucose法がglcoatatとして市販され、それから間もなく《真糖》という言葉も死言になった。

2) 診断基準がないのに診断していた。

@尿検査は医師の仕事。
糖尿病の診断基準は1955年まではなかった。内科診断学書にも症状と尿検査法のことしか書かれていなかった。当時の内科外来では患者さんに看護婦が身長、体重、脈拍数と体温を測り、下級医(新入医局員)が血圧を測った。全ての患者さんにガラスのコップに尿を取らせ下級医が尿を試験管にとって、ズルホサルチン酸試薬を滴下して蛋白の有無、ニーランデル反応で糖の有無を見た。ニューランデル反応では尿糖の濃度に応じて褐色、黒色と変わり、トロンメル試験では硫酸銅の青色が黄色、褐色となり、ベネデクト試薬では五段階に変色する。糖の検査はいずれもアルコール・ランプやブンゼン燈で加熱して反応させたが、試薬によって加熱する場所にコツがあった。

A【三多一少】顔貌やズボンの白点
大学病院に訪れる糖尿病の患者さんは、他院で尿糖を指摘されて来院した方が多く、また症状を聞いても多飲、多尿、多食、体重減少など、中国の医師達の造語した高血糖の【三多一少】の症状がある人が大部分で、問診だけで診断のつくような症例であった。中には顔を見るだけで糖尿病とわかる方もいた。長年糖尿病のままでいると多尿で水分が失われて皮膚が乾燥してカサカサになり、皮膚紅潮(nubosis)のなめに頬が赤くmonkey faceになっているからである。

1日の尿糖排泄量は50gを超えるものが多く時には20g以上の例もあった。尿糖含量が多い場合は、ズボンや靴に付いた尿の飛沫が乾燥すると、ブドウ糖が析出して白点となる。それを見るだけで糖尿病を分かった。敗戦後の食糧不足で痩せた人ばかりだったが、食糧不足が緩和されると2型糖尿病の患者さんも少しずつ増えてきたが、当時としてはやはり太っている方であった。

B村の診断屋さん。
現在はトイレは水洗式であるが1970年以前は水洗トイレは少なく、大都会でも汲み取り式のものが普通であった。糞尿の貯槽は汲み取り屋により汲み取られ、肥料にされたので腸菅内寄生虫が蔓延していた。終戦後進駐してきたアメリカの兵士たちも、強烈な臭気を発散する肥やし桶には驚いて、honey bucketsとニックネームを付けて逃げていたようである。

その汲み取り屋さん達は、「お宅には糖尿の人が居るよ」と教えてくれる診断屋でもあったのである。糖の多い尿はドロッとして特有の臭いがあり、黴が浮いていたりして分かるという。
1961年に新患の糖尿病の方々に聞いたときも、汲み取り屋さんに指摘された方がなお1%あった。このように重症の人ばかりだったので、ブドウ糖負荷試験は高血糖を確かめるためだけに行われただけであり、稀に腎性糖尿の鑑別に役立つこともあった。

3) 魚インスリンが製品化

@戦争で2型が消えて1型が残った。
普仏戦争や第1次大戦で、戦争になると食糧不足で糖尿病が減少することが経験されていたが、我が国では太平洋戦争でそれがはっきりと現れた。乏しい食量の配給で戦争末期には1日平均1900calで我慢させられたので、糖尿病が無くなったのはよかったが、一方では栄養失調がみられるようになった。戦争浮腫として知られていた低蛋白血症による全身の浮腫などである。糖尿病研究者は糖尿病がいなくなったので栄養失調の研究に切り替えた。

Aインスリン不足と魚インスリン
食糧不足があってもインスリンを必要とする1型糖尿病はなくならなかった。1935〜37頃までインスリン末を輸入して製剤として販売されていた。戦争が長引くと家畜からの抽出も行われたが、それは軍部に優先的に納入された。

我が国は海に囲まれているので魚は多く獲れる。では魚からインスリンを取れないか多くの人が考えたに違いない。1926年農林省に水産試験場ができ、その研究事業の一つが廃棄水産物利用試験で、魚からインスリン抽出が取り上げられた。タラ、スケソウタラが着目され、1942年にはタラ1尾より約20単位抽出できることが分かった。1936年のマグロ、カツオ、タラ、ブリの漁獲高の統計をもとに、その全部からインスリンを抽出すると仮定すると、40.000万単位になる。当時の日本のインスリン消費量を1日12万単位としても、年間で730万単位で66年間の需要を満たすことになると推定された。

B魚インスリンが製品化。
清水港の清水食品(1929年創立)はマグロの油漬缶詰を開発し、マグロの水揚げの多い気仙沼港でも委託製造していた。1939年に水産講習所(東京水産大学)を卒業して入社した、福屋三郎氏は工場長直属の研究室勤務となった。気仙沼工場の監督を終えて帰るとインスリンの話が出て、福屋氏はその研究を命じられた。それから2〜3名の助手と共に実験を重ねて2年後に成果を第12回農学大会で発表しました。その企業化は武田薬品の協力を得ることになり、1941年5月に清水製薬鰍ェ創立された。製品はイスジリン【シミズ】として市販された。

海外からの輸入は1938年より途絶えていたのでイスジリンは重宝がられた。福屋氏は国家命令の試験研究に従事していたので兵役を免除されていたが、3年間の期限が切れた途端に召集され、また翌年には爆撃で本社工場も消失した。終戦後工場は復興されマグロ、カツオより鯨の方が効率がよさそうなので、大洋漁業では1947年から鯨膵からのインスリン抽出を計画し、清水製薬と技術交流をして5年後から鯨インスリンも製造され1968年まで続いた。1954年清水製薬は重要医薬品インシュリンの抽出の研究と実用化、生産向上の功績で第6回保険文化賞に輝いた。戦後に復興された工場ではインスリンの製造も途絶えがちであったが、1948年にインスリンは統制解除となり自由販売となった。やがて海外からインスリンの輸入が始まり、それらによるインスリンが市販された。1950年頃のインスリン製剤では注射後に発赤とか、掻痒などの局所反応が時々見られた。

<福屋氏は気仙沼の出張の折に時々、東北大学に立ち寄られたので昔話を聞くことが出来た>

E-mail  takatetu3@ybb.ne.jp
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


  糖尿病と心の療法  著者 高 橋 高


   

ホームへ